先輩社員インタビュー
仕事人に聞く!

Vol.11

イタリアン、居酒屋、アジア料理まで何でもこなす!
新ジャンルを探求する仕事人

第2営業部 指導員中山 満

食いっぱぐれない “料理人 ”を仕事に

手に職を付ければ食いっぱぐれないと思って、高校を出て武蔵野調理師専門学校に進みました。ただ、あんまり真面目に通わなかったから就職先が決まらなくて、最終的には担任に見て来いと言われた株式会社 清月堂本店に入社しました。当時、清月堂はフレンチレストランを3店舗経営していたのでそこの中のひとつに配属されたんですけど、1年経った頃に遊びたくなっちゃって(笑)。20歳の時に辞めました。1ヵ月くらいぶらぶらしてさあ働こうとなった時に、見かけたのが「はてな亭(アジア料理)」日本橋店のオープニングスタッフを募集していたジローレストランシステムの求人です。

やってみたら、どんな料理も面白い

研修を終え、田町店に配属された時の指導員がすごい人でした。僕はそれまであまり人に怒られたことがなくて、調子に乗っていたところを怒ってくれた人です。「お前、勘違いしてる」って言われたし、「魚を下せないとか、鶏を捌けないとか、そういう調理長には絶対なるな」って言葉は今でも覚えてます。田町を経験してからは、第3営業部の店を転々としました。「はてな亭(アジア料理)」のオープンで錦糸町、秋葉原、新宿と異動し、秋葉原では「箱根そば」も立ち上げました。洋食がやりたくてジローに入ったけど、やってみたらどの業態も面白かったんですよね。新宿で調理長になったので、五反田に出来た「カームオン カフェ(アジア料理 )」は調理長で入りました。実はこの頃、ちょっと行き詰まって転職活動をしたんです。面接まで行った時に「部下に何も伝えないで何をしてるんだろう」って我に返ってね。申し訳なくなりました。五反田の後は神楽坂、上野、青山と業態変更する店に異動し、新宿の「びすとろふらんべ」オープン前にはフランスにメニューリサーチに行きました。結局、びすとろが一番長くて3年くらい居て、第2営業部に来たのが2015年の2月です。

仕事である以上、何でもやろう

第2営業部で感じたのは、忙しい中で料理を作り続けた人間の頭脳には追いつけないってことですね。手が速いし、先の先を読んで動くんですよ。僕みたいに色んな業態を渡り歩いた人間とは積み上げる経験がそもそも違うんですね。じゃあひとつの料理を極めたかったのかというとそうでもなくて、新しい料理を知るのが好きなんだと思います。長く一緒に働いた当時の第3営業部長の考えが「与えられた仕事はまず実行しよう」で。だからか、僕も仕事である以上は何でも一生懸命やろうと思ってました。今では、居酒屋やアジア料理などたくさんの店を経験できたことが強みになっています。 

2017年3月13日取材

仕事人に聞く

ジローはどんな会社だと思いますか?

上司と仲間と部下に恵まれているところだと思います。すごく助けられました。

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